代表プロフィール

 

佐藤絵梨子

会社信用ドットコム代表
会社信用クリエイター

                          

法務省入国管理局勤務の父のもとに生まれる。

大学卒業後、世界最大の企業情報を保有する企業信用調査会社(株)東京商工リサーチに入社。
安全な会社かを見極める調査、及び営業職に就く。

多くの調査員が年1回程度の電話での聞き取りを行う中、企業に月1回は足を運びリアルタイムな情報交換を重ね続ける。個人事業主から売上1兆円規模の企業まで10年間で延べ7,000社以上を調査。社長の人間性、銀行からの評価状況など、決算書だけではわからない本物の企業信用情報を大量に手にする。

商業登記簿を見れば会社の信用度がわかるほどになり、多数の企業から調査の依頼が殺到。
全国1,000人以上の調査員の中で営業成績1位を獲得した実績を持つ。

2017年同社を退職。現在は小さな企業の信用力アップサポートや、大手企業との取引を実現するサービスを展開。

中小企業の救世主として期待されている。

 

■許認可・資格
経済産業省認定 経営革新等支援機関(認定支援機関ID:107713006411

■趣味
日本酒の飲みくらべ(唎酒師資格保有)

 

私が会社信用ドットコムを立ち上げた理由

会社信用ドットコムトップぺージ画像

はじめまして、佐藤絵梨子と申します。

現在、私は「会社信用ドットコム」という、小さな会社の信用力向上をサポートする事業を行っています。

私の理念は、どんなに小さな会社であっても100年続くこと。

そのために、
 
融資・補助金の獲得

節税対策

大手企業との取引
 
以上の3つを実現し、長期にわたって続く企業の成長をお手伝いしています。

 

私は世界最大の企業情報を保有する信用調査会社(株)東京商工リサーチ元調査員です。

安全な会社かを見極めるための業務を担当していました。

10年間で個人事業主から売上1兆円規模の企業まで、延べ7,000社以上を調査しました。

では、なぜ私が企業を調査する立場から、サポートするという全く異なる道を選んだのでしょうか?

また、

「融資・補助金の獲得」「節税対策」「大手企業との取引」ができるようになったその根拠は?

それらすべての答えを知っていただくために、まずは私の生い立ちからお話ししたいと思います。

それでは、最後までお読みいただけると嬉しいです。

社長の話が大好きになった起源

私は秋田県に実家があり、両親のもとに長女として生まれました。

体重3,700gの大きな女の子でした

父は法務省の入国管理局の職員で、真面目を絵に描いたような性格です。

真面目な子に育って欲しいと思っていたようで、本当は私に公務員になってもらいたかったみたいです。

ちなみに以前から私は、日経新聞のコラム「私の履歴書」が好きでした。特に、社長たちが先陣を切って走るストーリーに魅了されていました。

この興味は、幼少期に母が寝る前にいつも本を読んでくれた影響だと思います。

母は世界の偉人たちの伝記を毎晩寝る前に読み聞かせてくれました。

母から聞いたところによると、私は読み終わるまで絶対に寝なかったそうです。

母がよく読み聞かせてくれた本

母が読み聞かせてくれた本は今も大切に保管しています

 
家の本棚には、父が買い揃えた
政治家や野球の野村監督などの本がたくさんありました。

そのような環境に常にいたことで、リーダーたちが語るストーリーが徐々に好きになったのです。

 

天職かも!企業のお話を聞く仕事

私は東京にある大学の法学部に入学し、学費は奨学金とバイト代でまかないました。

この経験が働く上での責任感を高める一因となっています。

就職活動では、会社説明会にたくさん足を運び、100社くらいの説明会に参加しました。

なぜそんなに参加したかというと、会社をつくるまでのストーリーや経歴を聞くのがとにかく楽しかったからです。

只、どの会社も自分が働いてみようという気にはなりませんでした。

しかし、その中で事業内容に強く興味を持ったのが、東京商工リサーチでした。

当時は「なんだか企業のことをいろいろ調べる会社らしい」という程度の認識でしたが、それが私がワクワクした理由です。

以上が私が企業信用調査会社に入社するきっかけです。

 

成績がビリだった入社1年目

調査員として入社した1年目の営業成績は、ビリでした。

私が入社した2007年の新入社員はスターばかり。1年目でもどんどん契約を取りつけ、表彰される人が多かったです。

ところが私は、契約が取れず、調査レポートも全く書けなかったのです

調査員の仕事は、取材で訪れた会社に対して調査と同時に営業も行います。

具体的には、「気になる会社があれば依頼をください。調査レポートやデータを買ってください」と提案する業務も行うのです。

入社一年目は「調査をやっていればいい」と言われていましたが、最後の方では契約が全く取れないと叱られていましたね。

レポートを書くコツがわからず、自分が書いたもので会社の評価が決まることに恐怖を感じていました。

 

新橋の酒場で受けたマンツーマン指導

法学部卒の私にとって、貸借対照表とか財務諸表など初めて聞く用語ばかり。

同期入社のメンバーには経済学部や商学部出身の人が多く、それ以外の学部でも簿記などの基本的な知識がある人ばかりでした。

私は何の前知識もなく入社したため、最初は「売掛金ってなに?」という基本的なところからスタート。

あまりにヒドいレベルのため東京にある3つの支店のトップのお二人に直接指導を受けることになりました。

当時の私にとって、彼らは「昭和の頑固なおじいちゃんたち」という印象。

私はお酒が結構飲める方だったので、新橋の酒場によく飲みに連れて行っていただきました。

その酒場が私の個別指導の研修場のようになってしまいました。

そのとき「お前はほんとにどうしようもないな」と何度言われたことか・・・。

今思い返してみると、単なるノウハウよりも、仕事に全力で向き合う正しい姿勢を学ばせていただいたように思います。

美味しいお酒をたくさんごちそうになりながら(笑)

 

営業成績ビリの私が売上数千億円企業の担当に

私の同期は、2年目以降も順調に契約を取り続けていました。

一方で、私は調査レポートも書けず、営業も取れない状態が続いていました。

そんな状況にもかかわらず、日本中の誰もが知っている某大手企業の担当になってしまったのです。

引き継ぎ前から、その企業は売上にまったくつながっていません。

おそらく、「これからもどうせ無理だろう」ということで私が担当にされたのでしょう。

初めてその企業へ挨拶に出向いた際、「御社はたまに情報を送ってくれるけど、全然会社に来ないね」と少し怒り気味に言われました。

そこで私は、「毎月必ず情報を持ってお邪魔しますので、会っていただけませんか?」と提案し、了解を得ました。

ただ、当時私が持っていた情報は限られている。そこで上司に頼み、情報部の部長に無理言って同行してもらいました。

私が一人で行くときと、情報部の部長と二人で行くときを交互に繰り返しましたが、初めは効果がありません。

しかし、その企業が「取引先の審査をしっかりやろう」と方針を変え、どんどん仕事を依頼してくれるようになったのです。

そして私の営業成績も急上昇しました。

 

10年間通い続けた結果

某大手企業様には、通算10年通い続けました。

私が退職する2〜3年前頃には、その企業の多くの部署から「企業のデータが欲しい」と依頼が来るようになっていました。

最初に私を怒ったその部署の方が、社内で私の名刺を配ってくれていたそうです。

あまりに依頼が多くなったため、私をサポートする営業担当者が同行するほどになっていました。

 

調査員1000人の中で私だけがやっていたこと

私が担当している企業様には、少なくとも3ヶ月に一度は情報交換のために訪問していました。

通常の調査員は年に1回訪問して「何か依頼はありませんか?」と尋ねるだけ。

私の訪問回数は異例だったかもしれません。

ちなみに「情報交換」というのは、例えば、銀行が融資をしたがらない業界を教えてあげたり、訪問先の会社の取引先を事前に見てアドバイスをしたりすることです。

そうすると、会社は取引先の業界が厳しいと分かれば重点的に調べようかと調査依頼をしてくれるようになります。

そのほかは、倒産予備軍としてあげられているリストの提供です。

情報管理がしっかりしている大手の企業様には、契約書を書いてもらえさえすればリストの提供が可能です。

それは、営業調査員であれば社外に持ち出し可能なものでしたが、実行している人がほとんどいません。

手間ひまがかかることですからね。

やがて私だけ契約件数がダントツに多くなりました。

 

情報と信頼は足で稼ぐもの

倒産予備軍として挙げられている企業のリストの提供の重要性については、情報部の部長に同行してもらっていた時に教わりました。

それに加えて、私にいつも指導してくださっていた支店長たちからは、「なんだかんだといっても足で稼ぐものだよ」と教わりました。

「情報交換をしながら信頼関係を築くことを大事にしなさい」と常に言われていたので、毎月訪問していたということもあります。

また、各業界では一ヶ月の間にもいろいろな動きがあります。

毎月のリスト内容も結構入れ替わりがあるため、毎月訪問したほうがよいと考えました。

独立した今でも、このとき学んだ「現場主義」の教えを守っています。

IT化が進んだ世の中であっても、インターネットでは拾えない情報が必ず眠っているものです。

どんなに手間がかかろうと、どんなに時代が変わろうとも、現場主義を変える気はありません。

これは先人の方々が伝えてくださったものから生み出した私の信念なのです。

 

苦手だった企業調査レポートが得意になった秘密

苦手だった企業調査レポートに対しては、上手に書けている人の文章を手当たり次第マネして克服する努力をしました。

先に提出した人の優れた文章をこっそりと見ては、メモ帳にストックしていましたね(笑)

また、私は決算書だけでは分からない企業情報を、社長さんたちから聞き出すことが得意でした。

これは一般的な飛び込み営業では難しいことです。

その理由は、頻繁に訪問することで得られる信用と、私はもともと社長や企業の経歴ストーリーを聞くのが大好きだからです。

何時間でもお聞きすることができます。

このような特長をマネできるわけがありません。

その結果、レポートの評価も上がっていったと思います。

 

全国トップ・年収1千万円より私にとって大事なもの

営業成績1位の表彰状

私は入社10年目にして全国の調査員1000人超の中でトップの成績になりました。

当時33歳で、年収も1千万円を超えていました。

周囲の誰もが佐藤はこの仕事をずっとこのまま続けるだろうと考えていたと思います。

しかし、私は会社を辞める決断をしました。それは、「審査する側ではなく、審査される側の人の役に立ちたい」という20代の頃からの想いを叶えるためです。

これまでに、会社から依頼を受けて延べ7,000社以上の会社を調査してきました。

社長の話を聞いているうちに、何度も仲良くなることがありました。

しかし、

私がその会社に対してできることは評価をつけるだけで、何もしてあげられなかったのです。

私の仕事は、既に良い評価を受けている会社には役立っていますが、これから評価を上げようとしている会社には役立っていないのです。

場合によっては、私のレポートによって取引が終了し、倒産してしまう会社もあったかもしれません。

このような状況に、常に後ろめたさとモヤモヤした気持ちを感じていました。

『私はこの仕事を続ける以上、贖罪の気持ちを抱えて生きていかねばならない』

そう感じた瞬間、会社を辞める決断をしました。

当然、周囲の人達には驚かれました

このままいれば高い給料をもらえるし、散々苦労したのにどうして…。と理解されませんでしたね。

 

企業は情報の出し方が命

東京商工リサーチを退職後、監査法人トーマツのグループ会社、デロイトトーマツコンサルティングに入社しました。

これは、将来私のクライアントになる企業様のお役に立つため、コンサルティングの知識も必要だと考えたからです。

そこで私は、大手企業がM&Aや新規事業に進出する際に必要な市場調査や業界リサーチを担当しました。

ここでも、企業の情報開示がいかに重要かを目の当たりにしました。

情報の出し方次第で、優れた会社でも良い評価が得られないことがあります。

逆に、情報の出し方が悪いと、悪い評価を受け、M&Aの候補から外されることもありました。

この仕事は楽しかったですが、顧客は大手企業ばかり。

そこで私は自社の優れたところにも気づいてない小さな企業を応援したいと感じていました。

自分のやりたいことがより明確になりました。

 

会社信用ドットコムの誕生

会社信用ドットコムの誕生

デロイトトーマツコンサルティングを退職後、次のキャリアの進路を考えました。

色々と調べた結果、私がやりたいことを実践している会社は存在しませんでした。

前にも触れましたが、自社の優れたところにも気づいてない小さな企業や、財務上の困難に直面している企業を支援したいと考えています。

しかし、そのような企業を対象とする会社はどこにも見当たりませんでした。

そこで、自分自身で始めようと決断し、会社信用ドットコムを設立しました。

最初に手がけたのは補助金申請のサポートです。

私のところに相談に来る企業様の多くは、補助金の申請で何度も不採用になっていました。

これらの企業様は、審査を通過するための方法がわからず、困っていました。

そこで私が申請書類を適切に修正するだけで、多くの企業が審査を通過できました。

この経験からも、企業の評価は情報の出し方に大いに依存すると確信できました。

そして、小さな企業が信用を得るための戦略を立て、融資や補助金の審査を通過するサポートを提供すると決意しました。

 

評価が変われば融資や大手との取引が可能に

会社の情報の出し方には工夫が必要。強みを強調したり、情報の受け手によって表現方法を変えることが重要なのです。

このような工夫によって、会社の評価は大きく変わります。

一般的な誤解として、数字が良ければ全てが良いと判断されがちです。

逆に、数字が悪いと自動的に評価が低くなると考え、情報を出さない企業も少なくありません。

しかし、

数字が悪い事情に対して理解を得られれば全く評価に影響しなかったり、点数の下がり幅を最小限に抑えられたりします。

その結果、銀行の融資や大手との取引が可能になるのです。

私はその現場を何度も見ているので間違いありません。

 

私にしかない強み

「佐藤さんの強みは何ですか?」と質問されたら、取引先や銀行など、評価する側の立場によって、評価ポイントが異なるという知識です。

これまでの経験から、評価する相手が何を重視しているのかを理解しています。

評価する相手に一番刺さる言葉や表現を生み出せるのが私の強みです。

クライアント様のホームページにおいても、「社長のご挨拶のこの部分はこう変更した方がいいですよ」といった具体的なアドバイスを提供しています。

さらに、社長様たちとの対話を通じて、彼ら自身が気づいていなかった強みを引き出すことも得意です。

 

「認定経営革新等支援機関」の資格を取得した理由

会社信用ドットコムを立ち上げた後、認定経営革新等支援機関の資格も取得しました。

これは、クライアント様を最後までしっかりとサポートする体制を整えるためです。

この資格を持っていると、融資を優遇される条件で受けられたり、減税手続きなどもサポートできます。

認定経営革新等支援機関と共に事業計画を立てている会社は、銀行からも信用されやすく、その結果、会社の信用が向上します。

資格を取得するメリットが多いため、私が資格をとらない理由が見つかりませんでした。

さらに、この資格を活用して、支払いスケジュールの変更や支払いの一時停止など、銀行との交渉もサポートできます。

支払いを再開するときの計画も一緒に考えることができます。

 

私の使命

補助金採択後のサポート【交付申請・実績報告】

私の使命は、どん底まで落ちてしまった企業であっても最大の評価まで押し上げられるまでお手伝いすることだと思っています。

「そんなことができるわけない」「渦中の栗を拾うようなことをして何になるの?」と笑われてしまってもかまいません

私が東京商工リサーチの調査員時代からずっと思い描いていたミッションだから。

私のできる限り、全身全霊で向き合っていきたいと思っています。

 

以上が私が会社信用ドットコムを立ち上げた理由です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

会社信用ドットコム
代表 佐藤絵梨子

 

2021年7月7日